第33回「五人の兼続」
文禄4年(1595年)兼続は執政に任じられる。
上杉の差配を託され、景勝の厚い信任に兼続は感激する。
京では、関白秀次が謀反の疑いで高野山に謹慎させられる。
兼続は急ぎ上洛するが、既に秀次は切腹させられていた。
三成の真意を問うべく、兼続は日参するが三成は会おうとしない。
政宗にも嫌疑がかかるが、家康の取り成しで落着する。
三条河原で秀次一族の処刑を目の当たりにし、兼続は衝撃を受け
る。秀吉から、秀次一族の助命を三成が嘆願した経緯を知り、
友の心情を察する。久方ぶりに対面した三成に兼続は合議制を
薦める。このままでは豊臣の世は立ち行かなくなる。
秀吉は諸大名に起請文提出を命ずる。幼い拾の将来を憂える
親心だった。景勝も上洛する。秀吉退出後、家康は秀次一族
処刑の件で三成を弾劾する。景勝は、主の咎を家臣に責めるは
筋違いと反論する。
合議制は、諸大名の重だった者を大老とし政の舵取りをさせ、
実務を奉行が執り行う仕組みだった。正面から唱えては、
秀吉が首を縦に振るはずもなし。二人は一計を案じるのだが…
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拾の将来を憂え、涙を流した三成が芝居ではなかったことが、
観ていて嬉しかったです。未だ、二人には相通じるものがしっ
かり残っていましたね。五大老・五奉行制は徳川に力を与え、
豊臣の力を削ぐ結果になりますが、三成一人に重責を課する
現体制も限界だったのかもしれません。
兼続に上杉の差配を任せた景勝の言葉が心に残りました。
「わしは、そなたの盾となる。」
2009年8月16日日曜日
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寡黙な景勝の反論には重みがありますね。今回の隠れた主役は景勝かもしれません。
返信削除景勝のセリフは仙桃院の言葉に似ていますね。
「もし事がおこったならば、私はいつでもそなたの盾となる覚悟を決めておる。心配は無用じゃ。」
今回の景勝は良かったなぁ(笑)
返信削除「わしも若こうござる」では思わずニヤリ(^^♪